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初告白・去年の今日、コロナで死ぬ一歩手前だった〜あと、6〜7月相談の様子も少しだけ紹介

【コラム】まずは6〜7月の相談の様子を少しだけご紹介したあと、この1年間の出来事を初めてお話します。実はデルタ株が急速に蔓延し始めたあの頃、飯島はコロナ感染で中等症Ⅱで死ぬ一歩手前でした。この1年間はほぼ療養しながら、回復まで仕事控えめで過ごしてきました。ちょうど1年前の8/5に運良く受け入れ病院に入院できた事により今こうして生かされております。

 

 

当コラムの本文読上げ音声データ(読まずに手っ取り早く聞きたい人へ)
注:飯島本人の声ではありません。

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なんだか、6月は、梅雨の時期が例年と異なったり、突然真夏級の猛暑日があったり・・・そして7月に入ったら安倍元首相が銃撃されたり、コロナが再び騒がしいことになってきたり、やたらと騒々しい最近ですが、そんな日々の中でも、明日の独立開業を夢見て飯島に開業の相談を投げかけてくれた方々が、6月から7月にかけて何人かいらっしゃいました。

 

 

こんな不安定な世相もあるせいか、さすがにコロナ禍前の2019年までの勢いはありませんが、ほんと、コツコツと相談のご依頼をいただけるのは、ほとんどが2018年出版の、飯島の著書のお陰のようです。
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飯島本人に変わって、健気に書籍が働いてくれているのですね(笑)

 

2020年から去来したコロナ禍ですでに約2年弱の時間が経ちますが、もちろん本音としてはbhも世の中のほとんどの企業やお店と同様に、経営的には辛い時を送っているのは事実です。

 

コロナ禍の影響により、感染のリスクを危惧し、あえてオフィスまでの来社を控えて頂き、ほとんどの業務がリモートに切り替えたものでした。しかし、リモートによる対応、これが意外と使えるもので、2021年以降には、その時プロデュース請負をしていた数件の開業計画案件は、ほとんど来社していただくこと無くリモートで完結できるほどでした。

 

代々木上原に構えていた飯島の大好きだったオフィスを泣く泣く引き払ったのもコロナ禍の影響を受けての苦渋の選択でした。それに合わせて同じく代々木上原オフィスの近所に借りていた自宅マンションも同時に引き払い、現在の砧公園のすぐ近くに、オフィス兼自宅のSOHOスタイルに切り替え、引っ越しをしたものでした。

 

ところがです・・・

 

2021年4月に世田谷地区に引っ越した頃、父の他界、そして飯島は、まさかの新型コロナ感染に見舞われたのはちょうど1年前でした。丸1年前の7月30日に、当時流行し始めのデルタ株の陽性が確認され、まさかの、ほぼ重体状態に陥りました。

 

当時すでに病床逼迫が始まっていた為、そこから受け入れ病院がなかなか見つからず、ようやく受け入れ病院が見つかり、担ぎ込まれたのが、実は1年前の今日、8月5日でした。

 

結局、2週間の入院生活を送り8月17日には退院することが出来ましたが、退院直前に主治医のドクターから驚愕の言葉を聞かされました。

 

「入院が1日遅れていたら亡くなられていたと思います・・・」

 

入院中は、正直言って、それほど大事だとは思っていなかったんです。

でも、ちょうど病床で、野々村真さんが、受け入れてくれる病院が見つからずヤバいというニュースや、千葉真一さんの死去の衝撃のニュースを見ながら、「なんかコロナ、ヤバいな、大変なんだなぁ・・・」と呑気にしていたけれど、実は、飯島自身もその時、中等症Ⅱの重体であり、集中治療室行き直前だったらしいんです。

 

たった1年前ですが、振り返るとしみじみ、よく助かったなぁと・・・ほんと、今頃になって思います。危うく親父の後を追いかけてあの世に行くところでした・・・

 

この感染とたった2週間の入院で、体重は7キロ減ってしまいました。

そして退院時にドクターから言われたのが、コロナの治療による副反応により、著しく糖尿病発症の確率が高まったということでした。

 

実は、もはやほぼ毎日の日課としてるランニングですが、これは糖尿病を発症させない為、絶対に続けるべき運動というわけです。

 

何の因果か、どうであれ、再び生かされたこの1年間でしたが、実際には後遺症は少なからずあります。

 

まずは非常に疲れやすいということ。

ゆる〜く走っていても、時折、足腰の筋組織がすぐに炎症を起こし、さながら肉離れのような症状に見舞われること。

 

主にこの2つの症状程度ですんでいるのが不幸中の幸いでしょう。

とにかく、味覚障害が残らなかったのは本当に良かった・・・発症した7月30日から入院した8月5日までの数日間だけ、何を食べてもクソまずい、例の味覚障害をしっかり味わいましたが。

 

今現在、絶対に糖尿病発症させないため、常に監視する目的で通っている内科医院でも定期的に血液採取を行い、経過観察を続けていますが、毎日のランニングのお陰もあり、糖尿発症完璧に防いでいます。おそらくこのランニングは一生習慣となることでしょうね。そして体重に関しても、入院前から7キロ減ってしまった退院時のままキープし、体重を増やすこと無く現在に至ります。

 

なにより、一応、死に直面したこともあり、さすがに人生観が変わった気がします。今までの自分の生き方、考え方、仕事への向かい合い方など、1年間ゆっくり考える機会があったように思います。

正直、自分だけはコロナ感染には絶対に見舞われないように、人一倍気をつけて、体調ケアを欠かさなかった自分が、どういうわけか感染し、しかも重症化ギリギリで死の淵に・・・

 

一体なぜ?という思いはありますが、見方を変えると、入院前にとらえていた健康観と現在の健康観はあきらかに異なります。

 

病気になるまで気づけなかったことも沢山あります。

そもそも、体育会系、武道の世界で生きてきた基準からか、あらゆることに麻痺していたなぁ、とさえ思うところが沢山あります。

 

一般の方々から見ると「無理しすぎじゃない?」と思えることが、自分の感覚は「大丈夫だよ、これぐらい!」この鈍感化しているような、変なギャップに、今は戸惑うことができるようになったのです。これは、確実に退院後からなんですよね。

 

ということで、退院後から現在まで、常に体調は絶好調ではなかったのですが、退院以降、「常にほどほどに・・・」とか「中庸を生きよう・・・」と思うようになってきたこの1年間でした。

 

当時、プロデュースでご一緒していた浦和のMOLGECOさん、土呂のhair+

Malunさん、愛知のFlamingoFlareさん、この3組の開業オーナーさんたちは、もちろんこの飯島が見舞われた災難を知っており、大変ご心配をおかけしたものでした。

 

幸い、プロデュース業務に一切支障をきたすことなく、退院後も変わらず対応することが出来ました。

 

実は、この1年間、そんなこんなもあり、最優先は療養重視で、おのずと業務を控えめにして体調を戻すことに専念してきた1年間でした。

 

ちなみに2冊めの著書「店舗開業のあたりまえ」も、この療養中に、体力に合わせ、無理なく執筆を進めて出版したものでした。

 

それら過去に執筆した2冊の本も、お陰様で、僅かではありますが「印税」をもたらしてくれて、飯島の代わりに働いてくれています。

 

そして、6月から7月に開業相談の申込みをいただけた方々の8割が、このどちらかの本を読んでくれたことがキッカケでのご依頼でした。

 

ちょうど入院して本日8月5日で丸1年なのですが、このことは一般にはずっと伏せたままでいようと思っていましたが、本日、こうしてやっぱり振り返ると、様々な感謝の思いがこみあがってくるので、思い切ってこの1年間の出来事を当コラム内でもご紹介することにしました。

 

ちなみに体調は、かなり回復しております。強がりなしの自己判断ですが、入院前の9割ぐらいは元に戻っているという実感があります。

 

ただ、ドクター曰くは、肺炎で損傷した肺胞はなかなか再生されるものではないようで、100%回復されるのか、なんとも言えないようです。いかんせん、コロナの後遺症に関しては、「症例がまだ多く揃っていないから・・・」

 

と、正直なところ、まだ、よくわからないらしんです。

 

なにより、自分自身の心当たりとして、おそらくあの夜、眠ったまま死んでいたかも?と思えた日が確かにありましたが、それは8月3日か4日のどちらかの夜でした。

 

どうであれ、今は、死なずに生かされた第二の人生を生きているつもりでいます。

これは、きっと、まだ役割を果たす必要があるから、この世に戻されたのでしょう。

 

その役割とは、今までと変わらず「迷える将来の開業相談者さんたち」へ安全な開業を導くこと。この確信は一向に変わりません。

 

事実、退院後の今でも、コロナ禍であるにもかかわらず、飯島を頼って相談を呼びかけてくる人たちがいるのですから。「もっともっと多くの開業者さん達を助けてあげてください」という社会的なメッセージがあるのでしょう。

 

さて、次週あたりから、久々のフルプロデュースが動き出しそうです。

復活第一号の、とてもありがたいプロデュース案件、無理なく、しかし確実にサポートして導きたいと思います。

 

今あるこの命に、心から感謝いたします。