2021年8月にコロナ・デルタ株に感染して死にかけてから1年半・最近の相談、業務他、近況のご紹介を兼ねて
2022年12月〜年をまたいで最近までの近況をまとめて報告します。コロナで危うく死にかけた2021年8月から1年半、まだまだ後遺症が完全には抜けていませんが、ほぼほぼ9割復活を感じています。それに伴って不思議と増えてきた仕事のオファー、まるで見えないチカラが働いているかのようです。不思議なものですね。
<↑昨年2022年の12月頃のbhホームページの運用打ち合わせ時の様子>
2021年の8月の初旬に、まさかのコロナに感染、当時は今と違ってコロナはかなりヤバイ時期でした。そう、デルタ株が出始めの頃でした。
実は、7/27に名古屋のFlamingoFlareの写真撮影に出張する日の朝に突然発熱し、急遽出張を取りやめ、ZOOM越しに記念撮影に写ったのですが、実はこの日が飯島のコロナ発症の日だったんです。
このとき、発熱しておらず、もしも名古屋に赴いていたら・・・・今思うとゾッとします。コロナ撒き散らしているところでした。
その後、熱が下がったり、上がったりを繰り返し、今まで経験したことのない40度の熱に若干ビビリ、近所の発熱外来に行ったのが7/30でした・・・
そこでPCR検査を受け、翌日クリニックからの連絡でコロナ感染確定。以降、保健所からの連絡の指示に従うようにと言われた。
たまたま事前に用意していたパルスオキシメーターがあったので、保健所からの連絡で数値を知らせたら、保健所側は大パニック状態に・・・
「今すぐ入院しないと危険な状態です。受け入れ病院を大急ぎで探すので入院できる用意して待機していてください!」と言われたのでした。
このとき、あまり知識がなかったけれど、血中酸素濃度が90を切っており、85前後まで落ちていたのです。
この数値が、いわば生命の危険を知らせるレベルだったことを知ったのはずっと後でした。
また、この時期、実はすでに東京各地で病床逼迫のニュースが流れており、もちろん飯島も受け入れ先の病院が見つからず、結局受け入れ病院がなんとか見つかり、ギリギリ入院できたのが8/5でした。
記憶を遡ると、今思えば、8/3の夜あたりは、かなり危険な状態だった気がします。
なんとなくだけど、朦朧としていたからかもしれませんが、明らかに、魂だけ、身体から離れてどっかに行っていたような感覚があったように思うのです。
結局8/5の入院から約2週間後8/17に運良く退院できたのですが、退院時に主治医のドクターから言われたのが
「本当に、死んでいるところでした。入院が1日遅れていたら助からなかった・・・」というものでした。
この言葉を聞き、振り返れば、たしかに8/3頃が危険だったと感じた日だったわけですね。
2週間の病床で、常に見ていたTVでは、俳優の千葉真一さんが非常にヤバイ状態だとか、野々村真さんが、受け入れ病院が見つからず危険だとか・・・
これらのニュースばかりが報じられていましたが、症状はほぼ飯島と同じでしたので、相当危険だったのでしょう。
自分としては、入院できているわけですから全然危機感を持っていなかったんですけどね。だけど、本当に退院時にドクターの言葉を聞いて、ヒヤッとしたというわけです。
そういえば、入院してから数日後の夜中3時頃、防護服のような服装に身を包んだ看護師さん数名が病室にドカドカ入ってきて
「飯島さん、酸素料増やしますね、苦しくないですか?呼吸をしやすくするために身体を横に傾けてください」
という出来事がありました。困ったことに、本人は全然苦しくないんです。その時、感じたのは、「なんだよ、大げさだな・・・」という感じでした。これも今思えば、命に関わるかなりヤバイ瞬間だったのでしょうね。
幸いICUやエクモに繋がれることは無かったものの、飯島は殺傷力が強かったデルタ株流行の頃の早い段階で・・・ある意味、選ばれし者になってしまったということでした。
どうであれ、命を絶たされずに、生かされてしまった飯島でしたが、入院したたった2週間で、体重は7キロ減ってしまいました。そして飯島が受けた中等症Ⅱの治療の副反応とされているのが、「糖尿病発症の確率を著しく目覚めさせてしまった。これから先の人生、いかに発症させないようにするためにも、激しくない程度の有酸素運動を常に!できれば一生続けて予防せよ!」というドクターからのアドバイスがありました。
飯島のFBやTwitter、個人ブログを見ている人はわかるかもしれませんが・・・
年がら年中、朝から砧公園内をランニングしていたり、ウオーキングしています。これは、武道家ならではのストイックさによるものではなく、
「絶対に糖尿病を発症させない予防策」なんです。
入院と治療のせいで、ある意味自慢だった筋肉量も一気に削ぎ落ちてしまい激減した体重。実は病室でコロナ感染より、むしろこっちのほうがショックでした・・・
しかしです。退院後は、せっかく繋いでもらった第二の人生なので、再び筋トレで体重増量して戻すことは、さすがにあきらめました。すべては糖尿発症予防のためです。とはいえ、スカスカの筋肉を、程々に、若干戻して、一旦減った7キロから2キロだけ戻して、現在78〜79キロをキープしたまま、すでに1年以上経過しています。
もちろん、定期的にコロナの後遺症チェックを兼ねて通っている糖尿病予防のクリニックでの検査でも、いまだに糖尿病発症はせずに居れております。とにかく、これからは、トレーニングも、仕事も、食生活も、大好きなお酒も、何事も程々、そう、中庸が重要、絶対に無理が禁物という人生を選んでおります。
<↑こちらも今年入ってから行ったbhのホームページの運用打合せ。>
旧ドメイン(b—h.com)が何故か世の中のネット事情により、旧にセキュリティがかけられない状況に見舞われ、止む無く、新ドメイン(bh-inc.co.jp)に移行したのがつい最近でした。そのせいか、当初のアクセス数が激減し、持ち直すのにしばらくの時間がかかりそうです。それに連動して、もう一つのオフィシャルサイト
こちらも大幅にリニューアルをかけて、装いも新たにしたばかりです。
まぁ、こうした、ともすれば飯島の業務を意地悪にも妨害されるような様々な出来事は、もしかしたら天からのお告げで
「病後の復活まで、いましばらく仕事を控えて療養に専念せよ!」というメッセージだったのかもしれません。
今思えばですけれど、なんとなく、仕事の勢いすら、何者かに、せき止められていたように感じざるを得ないんですよね。
実際、今でも後遺症らしき感覚はゼロにはなっておらず、もしも、退院から現在までの1年半もの期間、以前と同じような仕事の勢いで続けていたとしたら、確実に集中力が続かなかったり、ケアレスミスを連発していたように思えますしね。
そんな不安定だった1年半の時期、やっていたのが2冊めの著書「店舗開業のあたりまえ」の執筆だとか、去年の11月頃にUdemyで公開したばかりのオンライン講座の準備とか・・・
少しずつ、マイペースで、リハビリのごとく、決して無理しないよう、ゆっくり水面下で進めていたものが、今はこうして世に出てくれました。こうしたモノって、絶対に本業務が立て込んでいたら用意できなかったものでしたからね・・・
ある意味、今となってはコロナ感染のお陰ともいえる気がしているほどです。
昨今、じわじわ講義依頼やプロデュースなど、自分の意図とは関係なく、不思議とオファーが増えてきたのと、現在の自分自身の体調から判断しても、病後、9割以上は復活してきたなと感じています。
<↑今年に入ってからも、ありがたいことに飯島を頼っての講座受講のご依頼がいくつか。>
これら、各種講座のご依頼の殆どの受講者さんの、bhにたどり着くキッカケの9割が飯島の著書を読んだことだと言います。ありがたいです。本当に。
今もこうして、命を繋げて以前と変わらず、開業支援の活動させていただけているのは、まだまだ飯島には役目というものがあるからなのでしょうね。
生きていられていることに感謝し、これからもたくさんの方々の夢実現のお手伝いをしていきたいです。