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飯島由敬もうひとつの”顔”

One side different

趣味は『ブルース・リー』

とにかくブルース・リーに関するすべてのことが趣味。
高校時代からは映画製作もやりました。

運動に関しては10代の中学、高校では器械体操を6年間、水泳(バタフライ)、陸上(ハードル)、そして17歳から4年間少林寺拳法(2段)。

25歳から3年間フルコンタクトカラテ・芦原会館(初段)

29歳には有限会社バルヘッドを設立したため、運動はゼロの日々に突入。
随分長い間運動不足が続いていました。

しかし2008年3月、42歳から武道修行を再開しブルース・リーの武術・ジークンドーを始める。

そして現在、幼い頃からの夢であり念願だったジークンドー・インストラクターとしてIUMA振藩國術館/JUNFANクラブ/表参道支部長を任され日々活動しています。

自主制作映画「拳法狂時代」

「拳法狂時代」はbh飯島由敬(当時は義博という字でした)が高校時代に自主映画として制作したものです。

当時「ぴあフィルムフェスティバル83」にて全国486本の出場作品の中から予選通過を果たしベスト33本に選ばれ最終審査までコマを進めた経緯を持つ映画です。当時の審査員には、大島渚氏、大林宣彦氏、大森一樹氏、寺山修司氏(審査期間中にお亡くなりになりました。)など有名な監督さんがいらっしゃいました。

「ぴあフィルムフェスティバル83」に入選後は、様々な自主上映会に参加の声をかけていただき、83年当時からこの映画は日本各地を回ることとなり最も印象に残る上映館は池袋にあった文芸座の地下の映画館での上映でした。

遠い昔の話になりますが、三宅裕司さんが司会で放送されていた「えびぞり巨匠天国」(通称エビ天)というTV番組に当時出演依頼を受けました。その番組出演はお断りして結局出演しませんでしたが、前番組だった「イカ天」の放映時「エビ天」予告映像として「拳法狂時代」のシーンが使われ放送されました。その他のTV関連では、「ぴあフィルムフェスティバル83」開催後、名古屋の中京放送で 「ぴあフィルムフェスティバル 入選作品 」 の紹介として1~2分放送されました。

「拳法狂時代」本編3分33秒のダイジェスト版(2004年)

「拳法狂時代」の予告編60秒タイプ 2007年

「2004年版拳法狂時代ディレクターズカット版」
フィルムの映像をPCにてデジタル処理し再構成。当時作ったDVDパッケージ。

1982年、飯島由敬・高校2年生の時8ミリフィルムにて制作された本作品ですが、2003年の段階でデジタル化し、PCソフトを駆使し再構成しました。当時から20年以上の経年劣化により、フィルムはかなり傷ついておりました。しかし、時代の進化とともに、1982年当時には技術的に不可能だったカット割りの見直し他、全体的にデジタル処理を駆使。音声、効果音の総入替え(保管してあった当時の生録音の音源より)BGMもモノラル音声からステレオ音声に入替え。こうして当時の「拳法狂時代」に大規模な修復を施し制作から20年ぶりにディレクターズカット版としてバージョンアップされました。

ジークンドーインストラクター

小学校5年生の時、まだ10歳だった私はその年の4月にブルース・リーの映画「ドラゴンへの道」がTV初公開されました。それを機にそれまで野球少年だった私は一気に方向転換、ブルース・リーひと筋の人生を歩むことになりました。

ブルース・リーが残した武術ジークンドーという名称は、当時はまだメジャーではありませんでしたが、現在は有名芸能人の多くの方々が学んでおり、その名称を知る方も少なくないでしょう。

私、飯島由敬はブルース・リーへの強い想いから、遂にジークンドーのインストラクターとして表参道支部を任されるまでとなりました。今も本業のヘアサロン開業プロデューサーとしての仕事をしながら後世のジークンドー普及をお手伝いさせていただいております。これは私にとって子供のころからの長年の夢を実現した事の一つです。

ジークンドー/IUMA日本振藩國術館/表参道支部

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