10年後の健全経営を見据えた美容室の独立開業のお手伝い ヘアサロン開業アカデミー

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祝・開業10周年

本当に色々あった〜3.11の年の独立開業から10周年!〜山形美容室SunC plus(サンクプラス)

【開業10周年】あの震災の年2011年7月27日開業から10年の月日が経過しました!またまたbhから10周年店舗!山形美容室SunC plus(サンクプラス)

あの2011年3月11日の震災から10年経ちました。ちょうどその頃に東北地方、山形にて飯島のプロデュースを通して開業した理容室がありました。山形理容室SunC plus(サンクプラス)です。

 

当時オーナー小林雅史さん静香さんご夫婦は、東京都内の理容室に勤務しており、念願の独立開業を機に、静香さんの実家である山形に引っ越し、その地での出店を目標にしたのが計画でした。

 

現在と変わらず、その事前段階から飯島と共にレクチャーやコンサルティング(当時は事前プロデュースと呼んでいました)を通して開業への準備を進めていたわけですが、開業時期は7月の目標に据え、いよいよ好物件が見つかり現地の物件チェックをしようということになったのが、ちょうど3月11日でした。

 

当時、小林さんご夫婦は東京に在住していて、出店に伴い山形にて工事が始まる頃に合わせて、東京を離れ山形に移住するというのが計画でした。

 

計画着手の前、本来なら現地に行き物件の適性をチェックするのは飯島の役割でしたが、この計画は遠方ということもあり、しかも、そのままプロデュースへ進む前提だった計画なので、現在と同様に店舗デザイン設計担当の藤井真哉氏に、飯島の役割を代行してもらうことにしました。藤井単身で現地に出張してもらい物件のチェック、採寸他を代行してもらうことにしたのです。

 

そこで先々の計画進行上、たくさんのメリットがあると判断したものです。まず、公的融資借入の際に添付が必要となる設計図の作成もスムーズになるし、計画中何度か現地に赴くことになる藤井が事前に現地の様子や物件の設備状況を把握しておくことは、結果的に現地出張の回数を減らせることにもつながり、先々の予算節約や、進行を円滑にすることになると考えたのです。

 

そして、その現地検証の出張が偶然にもあの日3・11となったです。

 

なんと、藤井はそのサンクプラスの現場であの巨大な地震に見舞われ、その後数日間、その場に足止めを食うことになりました。交通手段はすべてシャットアウト。そして街全体が停電状態でした。

 

現場で路頭に迷った藤井は、ちょうどサンクプラスの向かい側にある鮨屋に助けを求めたのです。

 

すると、そこで飲食していたお客様と共に、一晩、宴会状態のように飲み明かしたというエピソードがありました。来店していたお客様を含め、ほとんどの人が、帰宅手段を失い、ほぼその場に足止めとなったわけです。

 

藤井も、さしあたりその鮨屋のオーナーに飛び込み、助けを求めたところ、店主は心よく迎え入れてくれて藤井はある意味、非常に快適な一晩を過ごしたというのです。

 

なにせ、新鮮な魚介類、お酒は豊富。そして楽しく過ごす常連客の方々。世の中は、とんでもない状況に陥っておりましたが、ことそのお店の空間は、至って安全な時間を送れたそうです。

 

さて、あの日の夜中、東京では小林さん夫婦、飯島他、事態に騒然となっておりました。なにより藤井との連絡が取れないまま3日間経過したのですから・・・

 

当日の夜中も、次の日の夜も・・・何度も小林さんから飯島宛に電話が入りました。もちろん、飯島も夜通しTVで震災状況を確認しながら、藤井の安否を確認すべく連絡を取り合ったものでした。

 

結局、藤井は幸運なことに、その後、自力でバスを乗り継いだりしながら新潟経由で無事に生還し、3日後にようやく無事を告げる連絡をしてくれたのです。

とにかくヒヤッとした状況のまま、それでもサンクプラスの計画は進行に向けて進んでいくこととなりました。

 

もし、このタイミングではなく小林さん夫婦が7月の開業目標とせず、8月とか9月に照準を定めていたらどうなっていたでしょう?

 

当時本人たちも語ってくれていたことですが、そもそもこの独立開業計画を見合わせていたであろう、と言います。

 

しかし、これ当然です。

 

実際、この震災による世の中の混乱により、この年、飯島のプロデュースを前提とし開業を予定していたいくつかの開業計画は、大半が計画を無期延期とするという決断をしたものでした。

 

実際、この2011年、bhは本当に苦しかった・・・

振り返れば10年前の出来事ではありますが、bh確実に倒産の危機に見舞われた年だったと言えます。

 

2011年に開業予定としていた計画は実に7〜8件ありましたが、このサンクプラスを含め、実際に開業計画を進めたのはたった3件。

まぁそんな時もあったなぁと、今は思い出として感慨深いものですが。

 

さて、ではなぜ、当時の小林さんは開業計画を辞めずに、不安いっぱいな出店に踏み出したのでしょうか?

 

その答えは単純です。

東京の理容室を退職する日取りがすでに決定してしまっていたからです。

もう、退職を撤回できる段階にあらず。先に進むしかない状況だったから、そのまま出店計画を前進したのです。

 

すべての明暗はタイミングだったのです。仮にもし、退職が決定していなかったら?

小林さんたちは「開業を辞めて、間違いなく今まで通り勤務を続けていた」

当時何度もそう話していました。

 

結果的に、この2011年は何人もの開業オーナーさんたちが独立を見合わせました。しかし小林さんたちは突き進みました。その違いは、こんな事情というかタイミングが関与したということです。

 

今こうして10年経過し開業からちょうど10周年を迎えた本日、7/27

午前中、小林さんから、飯島宛に、直接ご挨拶の電話をいただきました。

 

「おかげさまで、本当に順調な10年の運営をしてくることができました!本当に当時、飯島さんが一緒に立ててくれた計画通りの10年間を実現できたと思います!おかげさまで今では従業員も複数名雇用していて、本当に充実した日々を送れています。改めてあの不安で仕方なかった開業当時、飯島さん、何から何まですべて面倒見てもらったことに、本当に感謝しております。飯島さんも大変お忙しいでしょうけれど、もし山形に来ることがあれば、ぜひ遊びに来てください!私たちも東京に行くことがあれば必ず挨拶に伺います。本当にこの10年間、本当にありがとうございました」

 

う〜ん

毎回、こうしたお言葉に飯島は支え続けられ、

bhも21年もの期間にわたり開業のサポートを続けられています。

 

前述したように、今年は、歴代10周年店舗が最も少ない年になりますが、飯島のプロデュースで関わった事例に、相変わらず10年未満でリタイア、退店を余儀なくされたという美容室、理容室はいまだに存在しません。

 

山形理容室SunC plus(サンクプラス)のオーナー小林雅史さん、静香さん、これから先も益々の発展をお祈りしております。

 

必ずまたお会いしましょう!

心から、感謝!ありがとう!

 

<Sunc plusの作品ページはこちら>

SunC plus・開業までの足跡・復刻(2021年7月27日の10周年時に復刻)

↑ ↑  ↑

2021年7月27日の開業より10周年記念として、2011年当時bhのホームページで公開していた「開業までの足跡アルバム」の復刻となります。

あの3.11大震災の日の物件チェック、安否不明に陥った藤井真哉、震災直後のタイミングでの東北地方開業計画、仙台福島の工事業者による競争見積、ご夫婦開業計画真っ最中のご懐妊など・・・bhで歴代開業事例において過去稀に見るほどに様々な出来事が巡った特に印象深い開業プロセスです。かなり長いレポートですが、開業までの緊張感が伝わると思います。ぜひ最後までご覧ください。

※当時のままリライトせず、そのまま復刻公開させていただきます。


※当コラムやブログでは、コンサル中またはプロデュース中のすべての計画をご紹介しているわけではありません。あくまでも投稿の許可を頂いた開業オーナーさんのみ記事としてご紹介させていただいております。


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