SunC plus・開業までの軌跡・復刻
オーナー小林雅史さん29歳※開業当時
- 店舗住所
- 山形市宮町3-7-34 MYビル1F
- サイトURL
- http://www.suncplus.com/
- オープン
- 2011年7月27日
- 店舗面積
- 20坪
- 受講コース
- フル・プロデュース
2021年7月27日に開業から10周年を迎えた山形の理容室SunC plus(サンクプラス)
2011年当時bhのホームページで公開していた「開業までの足跡アルバム」の復刻となります。あの3.11大震災の日の物件チェック、安否不明に陥った藤井真哉、震災直後のタイミングでの東北地方開業計画、仙台福島の工事業者による競争見積、ご夫婦開業計画真っ最中のご懐妊など・・・bhで歴代開業事例において過去稀に見るほどに様々な出来事が巡った特に印象深い開業プロセスです。かなり長いレポートですが、開業までの緊張感が伝わると思います。ぜひ最後までご覧ください。
※当時のままリライトせず、そのまま復刻公開させていただきます。
2011/3/11(金)そうあの日です。あの震災の日3月11日がサンクプラスの開業計画がスタートが決まった日だったんです・・・毎回、プロデューススタートを決定付けるのは物件の適正チェック。物件が適正と判断したらプロデュース開始となるのです。したがって、物件の適正が不足だった場合、この場所で進めるのは辞めましょうと、過去何度もストップをかけてきたものでした。
この物件適正チェックですが、本来は飯島が山形の現地に出張してこの物件を検証するもの。出会いの時からプロデュースを前提にしていたオーナー小林雅史さん静香さんたちのこの計画、今後開業総額の一部となる交通費を少しでも節約することを考慮していました。プロデュースが始まれば店舗デザイン設計を担当することになる藤井真哉に、遠方のこの物件に関しては飯島の代理として山形に行ってもらうことにしていました。藤井は午後にこの現地に到着、まだ雪がパラつく現地にて物件チェック中をはじめましたそうです。
さて、オーナー小林雅史さんは、2008年2月27日に国際理容協会主催の50名の団体レクチャーに参加していた方で、この開業直前まで東京在住で、この開業計画は奥様の静香さんの実家、山形の地での出店計画として進めてきたのです。藤井は新幹線で山形入りし、ちょうど14時過ぎからこの計画の予定地となる物件を採寸しながら、設備状況の検証などを行い、東京の飯島に詳細を報告することになっていたのです。
実際の物件の設備事情が理美容室を開業するのに適しているか?不足要素がないか?過去、どの開業計画も、これを最初に確認した上でプロデュースに着手てきました。
店内の坪数は20坪、やや広めの面積であったが、小林さんたちはヘアサロンとエステの業態の複合店考えていたため、やや広めであってもOKと判断していました。もともと、学習塾だったというこの物件は大通りに面しており、車を利用して行き来する現地の人々には、非常に目立つ立地でした。
藤井も埼玉在住で遠方から出張、そうそう何度も来れるわけではない為、念入りに1時間以上現場に滞在して細かい検証をしてくれました。いよいよ現地のチェックや採寸が終了し、不動産屋と別れ、外に出た瞬間がちょうどあの瞬間となったそうです。公開しているこれらの写真は、まさしくあの巨大地震が襲ってくるわずか数分前の様子なのです。藤井曰く、揺れ始めた時、目の前道路がコンニャクのように波うち、藤井は倒れてきそうな電柱を避け、道路のど真ん中で逃げたそうです。
その後、東京にいた飯島や小林さんご夫婦は本当に心配しました。被害が激しいと思われる東北に藤井を送ってしまったのです。この瞬間、地震の直後から藤井とは結局2日以上連絡が取れな時間を過ごすことになりました。あの日の夜中、静香さんから何度も飯島の下に電話が入りました。「藤井さんと連絡取れましたか?」
藤井と無事に連絡が付いたのは2日後の日曜日夜20時過ぎでした。公衆電話を使って飯島の携帯に電話をくれました。直後、すぐに小林さんたちに藤井の無事を伝え、東京でとても不安な時間をすごしていた一同は、心より安心したものでした・・・
聞けば藤井は、この物件の真向かいにある寿司屋さん「寿司健」にトイレを借りに入り、そのままその店のご主人の健さんに世話になりこの店に泊まったのです。市内は全停電だったらしく、石油ストーブをたくさん用意してくれて、店から帰れなくなっている他の客たちと暖をとり、そのまま極上の寿司を前に現地の人たちと不安な夜を、飲み食いしながら過ごしたという。
いや~、本当に良かったです。今度ばかりは、本当に心配しました。
小林さん夫婦は、この大地震に、今後の多大なる心配を抱いていましたが、同時に開業計画には突き進む決意を固めていました。
それは、3/31には現在勤務するサロンをすでに退社することが決定していたからでした。このタイミングによりもう後戻りができない状況に追い込まれていたわけですね。
後日小林さんの心境を聞きましたが。この時もしもまだ退社が決まっていなかったらどうしていたか?それは、恐らくこのまま計画を進めず、今までの勤務先でしばらく働くことを選んでいただろう、と語っていました。
なにはともわれ、 不安なとても不安な状況の中、こうして山形のサロン開業計画はスタートしたのです。
そんな状況の中で、小林さんからプロデュースの正式発注をいただきました。藤井の無事もわかり、お二人はとても前向きでした。プロデュースが始まると、ほぼ毎週に渡ってbhのオフィスにて打ち合わせとなります。その打ち合わせには辻井の愛犬ディンが毎回bhに出勤しています。そのディンにお二人は会うことがとても楽しみだったそうです。
プロデュース発注書にしっかりサインを頂き、飯島は小林さん夫婦の開業計画のセコンドにがっつり付くことになりました。ちなみにオーナー小林雅史さんは岩手の出身であり、お父様が被災に遭っており、この段階ではまだ、安否が分からないままの決意だったことを付け加えておきます。あと、小林さんは手袋していることに注目です。このとき小林さんの手は薬剤による”手あれ”がかなり酷い状態でした。このように手荒れに苦しむ辛い状況から抜け出し、良質で安全な薬剤を取り揃えたお店を作りたいというのも、彼の大きな開業動機でありコンセプトに繋がるポイントです。同じく静香さんも良質な薬品には強いこだわりを持ち、健康に十分留意したエステ部門を展開していくことを目指していました。右下の写真、実はこれは、静香さんがオリジナルで作ったアロマ系の石鹸。エステ施術の資格を有し、リラクゼーションのメニューを充実させるさまざまなアイディアを持っていました。エステルームを作り、ヘア部門とエステ部門で勝負するという発想は最初から固く決めていたのです。
2人の開業計画は、コンセプトワークから。それがプロデュースの最初の打ち合わせになります。小林さんは昨日3/31で東京都内の旧サロンを退社していました。ここから先は全力で打ち込めるわけです。まだ勤務中であった3月中、何度も小林さんはbhに通っていました。それは公的融資の準備のためでした。これに伴い、何度か山形に出向き、借入準備をしてきたのです。融資の準備も終わり、ようやく待ちに待ったコンセプトの打合せなのです。小林夫婦も休憩のたびにディンと戯れてました。過去の他のオーナーたちの開業足跡アルバムを見て、ディンとのじゃれ会いをすごく楽しみにしていたそうです。
無事に生還?した藤井もコンセプトワークに参加。小林さんたちが実際に仕事として藤井と会うのは初めての日。だが、実は顔をあわせるのは通算3回目でした。藤井は2008.2.27の団体レクチャーの会場で飯島の助手をしていたため、このレクチャーに参加した小林さん夫婦は、すでに藤井には会ってはいたのです。
そして、2回目は1月に同じくbhのプロデュースにより開業した小林さんの先輩の理容室、その1周年パーティーでも顔を合わせていました。
そのときは、「藤井さん、私たちのお店、本当によろしくお願いしますね!」と気の早い呼びかけをしていました。昨日3月31日まで小林さんご夫婦は、東京都内のサロンに勤務していたため、毎週1度のお休みを使ってのbhの打合せと、不動産契約やら、資金借入の準備やらで山形に行き来する。さぞや疲れ果ててているはずなんです。独立開業とは本当にやるべきことが山ほどあることを、是非とも理解してほしいものです。
前回の打合せから10日経過。この間、お二人は再び山形に行き、引き続き借入の準備を進めていました。同時に、小林さんの出身である被災地岩手にも足を伸ばしていたそうです。安否不明だった小林さんのお父様は無事だったそうです。本当に良かった・・・さて、10日ぶりの打ち合わせ、この日も引き続きコンセプトワークから。本当に二人とも、細かくノートを取る人たちです。まじめで実直!メモをしっかり取る姿を見ていると、こちらも本当に安心するものです。打合せの最後には、お二人の借り入れの面接の予行演習を行いました。借入申請自体はすでに済ましており山形の現地に提出済み。残すは面接のみ!打合せと面接練習が終わり、いつものようにディンと遊ぶ。最近のルーティンです。山形と東京を行ったり来たり。ディンは本当にめまぐるしい日々を送っているお二人の癒し担当ってところでしょうか。
この週もまずはコンセプトの確認からスタート。時間が経過してコンセプト的に違和感を感じたり、なんかピンと来ないという事例も時折あるもの。プロデュース開始から3週目ぐらいまでは毎回このようにコンセプトの確認をしてから、その先の打合せを進めていきます。時として、かなり進んだ段階であっても、大きくコンセプトが動くこともあります。コンセプトとは、長い運営を視野に入れたとても重要なシナリオのようなものなので手を抜かずに軌道がずれたと思えたら、何度でもやり直しをすべきなのです。
この段階で店名はSunC plus(サンクプラス)に決定しました。もともと“太陽”というキーワードに強いこだわりを持っていたお二人の想いを感じさせる店名です。sun(太陽)のC(ケア)、さらにプラスアルファを追求するという意味合いを込めて。また、太陽のように周りを照らす存在でありたい。太陽のような恩恵を与える場でありたいという意味もあります。本当にすばらしい命名だと思います。
小林さん夫婦にとっても、スタート時点は少なからず迷いがありました。まぁ、核となる部分には迷いが無かったようですが、自分自身が貫くべき戦略というか、作戦を実行するに当たり、心の迷いが常に悩ませていた。なによりも小林さんにとってある種、自分でも認めていた“コンプレックス”のようなものが決心を常に邪魔させていたようなのです。
スタートしてまだ日が浅いこの段階から、小林さんの「自分との対話」が今回の開業計画のもう1つの課題となっていったようでした。オーナー小林さんの課題としては「想いを素直にストレートに表現し、自分の足りていないところ隠さず真摯に受け入れること」そんな小林さんと対照的に、常に前のめりに、物事を表現し、白黒ハッキリしている静香さんの課題は「パートナーであるご主人の想いを尊重し見守ったり、ペースを理解しながら時として待つ」お二人と飯島との間に、約束というか、取り決めというか、目標設定のように定め、其々のテーマとして掲げることにしました。もちろん、これはお二人があらかじめ望んで飯島に依頼してきたマインドの部分のコーチング要素でした。
震災後、世の中はとても不安な雰囲気が続いています。しかし、bhでの打合せの部屋は、小林夫婦と前向きな打合せが行われていました!と言いたい所でしたが・・・奥様はやや体調を崩し風邪をこじらせながらの打合せ参加でした。一方、bh側でも辻井が体調不良でお休み。おいおい、みんな、大丈夫かぁ?
静香さん、ちょっと辛そうでしたが、念願の自分の店のための打合せ、参加せずにはいられないようでした。あと、この日、お二人から、超ビックリな報告がありました。奥さんご懐妊!おそ様を授かりました!おめでとうございま~す!でも、お二人は「なんでこんな時に?」と戸惑ってました。こういう門出の計画には、いろいろなことが重なることもあるんですよね。
「まずは不安要素に意識を向けるのではなく、喜びに意識を向けましょう!その分、倍頑張れよ、という神のお告げです!きっとね。」なんて、お二人を奮い立たせました。ラストはこのとおり、マスクをしていても隠し切れないほどの笑顔を見せてくれた。悩みは尽きないけど、やっぱりbhの打合せは毎回学びがあり、本当に楽しいと語ってくれました。
連休が明けて、再びコンセプトの見直しが行われた。当然と言えば当然なのですが、めでたく奥さんが妊娠したことにより、若干運営サイクルを見直す必要が生じたのです。出産の時期は12月の中旬。ということは開業予定の7月末から5ヶ月ほどはエステルーム、どうすべきなのか?その打開案や方法論を見直しコンセプト再構築が必要となりました。この週も辻井が欠席だったので、販促物のグラフィックデザインの打合せはお休みにして、じっくり店舗デザイン設計の打合せに没頭できました。すでに、素材の選定の段階まで進んでおり、お二人は楽しみながらも、大いに悩んでおりましたね。辻井が休みなら当然ディンもお休み。いささか寂しそうな小林さんご夫婦でした。
1週ディンと会うことができなかったので、この日はbhに到着するなりお二人はディンと再会し大喜びしてました。打合せが始まるまで、いつもより長めの時間、こうして遊んでました。さて、打合せ始めましょう。お二人の表情は一変、真剣そのもの。お二人の集中力はなかなかのものです。いやいや、撤回します。途中で注意散漫になるシーンも度々・・・奥さん、駄目じゃないですかぁ?おっと、なんとご主人もじゃん?まぁ良しとしましょう。こうして時折、息抜きしないとbhの打合せは常に長丁場、体力持ちませんよね。前回同様、素材選び。2週間ぶりだった辻井と販促アイテムのグラフィックデザイン打合せ。2回打合せは欠席したものの、この期間、しっかりお二人とはメールや電話で打合せを連ねておりましたね。打合せの遅れは一切ない状態にしていました。さすが辻井。
コンセプトもほぼ安定し確定。お二人の計画はそのまま先に進むのみです。店舗デザイン設計も順調に進んでおり、この日は制作家具の細かい機能面や弱電、電気関連の打合せがメインでした。
店舗デザインを進める上で、店名のロゴやマークは非常に重要です。店のイメージに連動するグラフィック処理やカラーリングによっては、イメージを著しく害してしまうことがあるのです。たとえば、ロゴで使われる書体ひとつをとってもイメージが合っていないとすべてが台無しになったりするものなのです。
店舗デザイン設計で担われるのは“舞台”そこにスパイスの如く、ポイントカラーとして、グラフィックのが手助けをする。この舞台に息を吹き込むのは小林さんたちです。自分たちがもっとも輝くような舞台を作ることこそ店舗デザイン設計の真髄なのです。
ディンもこれだけ何度もお会いしている小林さんご夫婦にすっかり懐いています。普段は打ち合せ中、飽きて奥のソファーで居眠りしていることが多いのですがテーブル下を陣取って常に静香さんの近くに居ました。
この頃からオーナー小林さんはどことなく自信というか、オーラ的なものが大きくなって来たように思えます。実際、この計画は彼の心の試練の連続のように思えます。一皮剥け始めている感は誰が見ても明らかでした。計画も順調にここまで進んでくると、もはや楽しくてしょうがないという段階になります。大変な状況であっても楽しめるかどうかは、すべて開業者本人の心次第なんです。なんとなく小林さん、今後もし試練があっても「上等だぜ!かかって来い!」というような、余裕ような雰囲気すら感じられました。
山形という寒冷地の状況を考慮した上で藤井が探し出した外壁材。強度、耐久性、値段、どれも適切な提案です。外壁素材の検討は、外光で直接チェックするべきです。これもbhの恒例のシーンですね。外壁材は、かなり離れて見ないと判断を誤りやすいもの。外壁材選びの重要なコツです。
やはり日頃の疲れが溜まったのでしょうか静香さんが体調を崩した。本人は“行く!”と気合十分だったそうだが、なにしろ妊娠中の大事な時期。小林さん一人で打合せに望みました。大量にノートを書き連ね、そこそこ書き溜まったノートを数冊広げながら、打合せに望む優秀な小林さんである。辻井からの宿題提出率も過去のオーナーの中で、恐らくトップクラス。今日は店舗デザイン設計承認を控えてました。いよいよbh至上最大の遠隔地による競争見積が開催されます。素材選びの最終確認だが、設計承認後であったも、素材の色や風合い違いだけなら変更可能です。単純に色違い、木目違い程度の変更なら、価格が大きくは変わらないからです。逆に、フローリングがタイルに変わるとか、大理石に変わるとなると、価格は大幅に変わってしまうことになります。店舗デザイン担当者はそのあたりを十分理解したうえで柔軟にガイドすべきなのです。
途中から、打合せは販促デザインにバトンタッチです。チラシも完成に近い段階ですね。この1週間の間、借入れも無事成功。融資先が山形であっても飯島の確かなサポートにより希望額は満額で成功です。小林さんご夫婦はまたまた山形に行っていたのでお土産に買ってきてくれた名物のおせんべいをいただきました。持ってきてくれたお土産、小林さんにも無理やり食べさせて撮った写真、飯島の無茶振りに苦笑いの小林さんですね。本当に感心!書く、書く、書く~!見習いましょう!
店舗デザイン設計は一応一段落。すで複数の工事業者に図面が送られ競争入札はスタートしています。この日は、販促デザインのためだけにお二人はbhに来ていました。静香さんは、2週ぶりのbh。いつもの笑顔に一気に明るくなります。ある意味奥さん自身が“太陽”のような存在かも。
チラシ、ショップカード、名刺、ポイントカード、カルテのデザインを完成させたら、お二人と相談しあって予算に応じそれぞれの発注枚数を決め、辻井が入稿を代行する。オープンの2~3週前に、現地でお二人は成果物を受け取るだけという段階まで、毎回グラフィック担当の辻井は手厚く完璧にサポートします。
すでに、店舗デザインが終了しているので、いささかお二人は余裕が感じられました。お二人のチカラの抜け加減が非常にいい感じで心地よかったです。お二人は今後「頑張り過ぎない」これも今後のテーマなのです。販促デザインの打合せのみだったので、いつもより早めにお帰りになれるようになりました。そろそろ開業に向けて体調管理にも注意を向けるべき時期になってまいりました。
競争見積(入札)の為、飯島と藤井両名で山形の現場に乗り込みです。
東北自動車道のところどころで、こうした車両に出くわしました。被災地に向かう自衛隊員のトラックです。何台も連なっていた・・・朝の9時に埼玉県の久喜駅を車で出発し、山形駅前に着いたのは13時ころ。やっぱり長旅です。
飯島がこうして現地に来たのは、当然この日が初めてのこと。なんともいえない気持ちになりました。藤井を路頭に迷わせた場所でもあり、これから小林さんご夫婦が、ある意味骨をうずめる覚悟とする場。開業計画という視点ではもちろん良い立地の好物件であることは間違いありませんでした。今回の入札は、東京から参加する業者、仙台の業者、福島の業者合計4社による競争見積を予定していました。
現地に集まってきた業者の様子を見て驚いたことがあります。仙台の業者が3社、それぞれ別のルートから集められて集合したのだが、偶然にもbhから集められた各社は、仙台や山形方面の百貨店などの店舗工事で時折、顔を合わせる、知り合いの会社同志という間柄でした。入札という緊張感を吹き飛ばし「お前のところは無事だったか!良かった良かった!」とお互いの無事を喜び合う興奮の場になってしまいました。途中、飯島から「入札なので、とりあえず緊張感もって望んでください!」という注意を促すほどでした。とはいえ、震災後の再会の場となってしまったこの入札、なんともいえない盛り上がりでした。過去の事例としてはあまりにも異例の入札エピソードとなりました。
ちなみにこの入札業者の中の1社は飯島が21歳で工事会社に勤務していた頃に大変お世話になった仙台の工事業者さんも飯島の声がけで入札に参加してもらいました。当時小学生だったその会社の社長の息子が今は37歳で、その工事業者の後を継いでいました。この息子さん、震災で津波に流されギリギリのところで命が助かったそうです。こうして現場で無事な姿で再会できて本当に良かった・・・
どの業者もbhの監理下での仕事が初めてのこと。bhならではの細かいルールや規則など、詳細に説明しながら各社の質疑応答に応えました。中には、「いつもそんなに厳しくやられているんですか?」という質問もあったほどでした。これには鍵を空けてくれた不動産担当の女性もかなり驚いていたました。
15時からスタートした入札の現地説明、じっくりと2時間の質疑応答を経て17時に終了。飯島と藤井はその後、直ちに高速に乗り帰路、東京へトンボ帰り。東京に到着したのは22時。さすがに疲れました・・・藤井さんご苦労様でした。
販促アイテムのグラフィック打ち合わせ、大詰めの段階。お菓子をほおばりながら打合せを進める静香奥様。静香さんもご主人同様、しっかりノート取る人ですよね。小林さんは余裕?いつもと逆転してますね。おい、早く書けよ!っていう感じ?まぁそんなこと言おうものなら・・・逆襲が怖いかな?
今日の打合せで、飯島とお二人で十分に話し合い、来たる減額調整(寒い打合せ)のために事前に予算整理や妥協案を事前に想定しておくように指示しました。減額調整について少しだけ解説しましょう。
プロデュースでは、全ての計画共通で、あらかじめ飯島の開業総額予算管理指導により、店舗工事に割り当てている予算があります。開業者によっては自己資金も公的融資額も人それぞれ異なるものです。人によっては開業総額が2000万円の人もいれば、1800万円の人もいますね。もちろん総額1000万円以内という事例も何件も扱ってきました。
その人それぞれ異なる開業総額がすべての基準になります。その総額で以下の予算をすべてまかなわなければなりません。
「不動産取得
理美容機器の費用
買付家電費
買付家具費
広告宣伝費(HP制作も含む)
グラフィックデザイン費
店舗設計費
そして店舗工事費なのです。
そしてこれらの予算と別で、開業から数ヶ月分の運営費として「運転資金」もしっかり残しておかなければならないんです。
このように予算配分は本当に人それぞれですが、2000万円総額の開業計画の場合、工事費として割り当てられる予算は800〜1000万円が平均的で、工事費はとかく開業総額の半分程度となってしまうことが多いのです。仮に店舗工事費用が800万円の割り当てだったとしたら、絶対に店舗工事見積からその額を1円たちとも超えずに、見積もりから工事内容の要素を減らしたり、材料を安価なものに変更したりと、割り当てた予算に収まるようにひたすら妥協点を探し出して、減額を追求する。それが減額調整という辛い打ち合わせなのです。あらかじめ入札(競争見積)を通して4つの会社が競争して一番安い見積を提出しようと頑張り工事契約の候補業者としてコマを進めるわけですが、その競争を勝ち抜いた見積であっても、設計はオーナーのすべての満足要素を反映した状態で行われるので、割り当て予算をはるかに超えていることがほとんどなのです。
その実際の予算割り当てを超えた見積から、全項目を検証、再検討しながら、なんとか予算内で収まるように、実行するもの、辞めるもの、簡略化するものっを検討していくのです。減額調整とは、絶対に要素が増えることはありません。ひたすら減らしていく作業となります。一度は夢見た要素を泣く泣く諦めていく作業とも言えるのです。だから辛い、寒い、ここでbhの過去の開業者がある日言った「寒い打ち合わせ」これがこの呼び名の始まりでした。
「もし800万円しかないなら、最初から800万円に合わせた設計をすべきだ」こんな声もよくありますが、店舗デザイン設計の段階でこの予算ありきで展開する設計の進め方は、実は飯島はお勧めしていません。飯島自身が長年の店舗デザイン設計者だった頃の経験でもありますが、デザイナーは予算を先に聞いてしまうと、創作範囲も最初から狭めてしまう傾向があります。結果的に完成度が落ちるという事例もたくさん見てきたし、自身の経験からも本当にそう思うわけです。
一旦、予算度外しでオーナーさんの要望を全て盛り込んだ上で見積を取り、そこから実際に”自分が使えるお金の分だけ選んで、吟味して買う”これが、一見遠回りに思えるようですが、最も店舗の完成度を上げます。また、これから経営者となる美容師さんや理容師さんにとって、とても重要な原価意識、予算取り、という概念を店舗工事のこのタイミングで触れておくことは非常に重要なトレーニングとなるのです。bhの創業の頃から徹底しているこの減額調整は、実際にそれを経験した開業オーナーのほぼすべての人が、経営者になる上で非常に役に立ったと後日語ってくれています。飯島のプロデュース下では、「減額調整」は、それほどまでに重要なプロセスとしているのです。
さて、これはご夫婦お二人の性格的なものもあるのですが、経験上、恐らく減額調整に直面した場合、ショックを受ける度合いが大きいだろうと想像します。特に白黒がハッキリしている奥様の気質から想像し、減額調整時にありがちな暗礁に乗り上げた時、「も~全部、いらな~い!やめた~!」となりかねないのでは?失礼、さすがにこれはちょっと言い過ぎかもしれませんが・・・まぁその要素がゼロではないということです。でも、もちろん、これ、奥様自身も自覚した上での話です。ご自身でも、そうなってしまうかも、って発言しているくらいです。・・・なにはともわれ、3日後、本番前に一度“プレ寒打ち”やりましょ!ということになりました!
減額調整(通称:寒い打ち合わせ)の事前プレ寒い打ち合わせをやりましたが、案の定・・・やっぱり・・・って感じでした。
お二人は事前の減額調整だというのに、想定どおりの混乱ぶり。途中、ちょっとだけ不穏な空気を読んだディンも二人から遠ざかり気味の様子でした。この時点では次回の本番に向けて、妥協要素、すなわち辞めなければならない箇所だったり、素材などを安いものに変更しなければならなかったり、というマイナス方向の優先順位を定めたところで本番に控えることになりました。
ご夫婦、打ち合わせ終了後、ディンに向かって「15日の寒打はがんばるからねぇ」と声をかけておりました。では本番、がんばって乗り切りましょう。
減額調整本番。あらかじめ妥協すべきポイントは、前回のプレ段階でも触れましたし、お二人も頭の中で一旦整理したわけですが、その成果は思いのほか大きいものでした。1週間の考える時間というか・・・頭を整理する時間というか・・・先週事前に行った打ち合わせが、これほどまでに効果があるのだと実感させられました。しっかり覚悟を決めていたというか、終始、毅然とした態度でした。そのせいか順調とまではいきませんが、まぁスムーズに進めることができました。bhから、さすがにハードなこの日は、ディンを連れてくるのはやめてお休みにしようと提案したのですが、お二人は「いやディンも連れてきてくださいね!」というリクエストを事前にしていていました。
東京から参加した業者を含め仙台、福島の業者4社で行われた競争見積は、福島の業者に軍配が上がりました。この日は、はるばる福島からbhに来てもらい、このbhの寒い打合せと呼ばれる減額調整なるものに参加してもらいました。
落札した見積書の内訳明細項目を漏れなく1行ずつ詳細にチェックしていきます。やっぱり緊迫する打合せです。
こっちは残して、こっちはいらないんじゃない?・・・いや、これは無くせないよ・・・こんなご夫婦からこんな言葉が飛び交う感じです。
100以上を超える工事の要素を一つ一つチェックし、減額のために一旦無くしてみたり、やっぱり戻してみたり・・・こんなことを幾度も繰り返しながら目標予算に範囲内で収まる項目だけ生かすのです。非常に長時間を要するこの打合せです。
予算組で設定した額と、見積額の差があればあるほど、この減額調整は難航を極めます。この計画に関してもも例外ではなく、ついに夜まで続いたものの、ようやく予算内で実現可能な段階に到達しました。オーナー小林さん仮発注書にサイン&押印。横でその姿を見守る静香さんもうれしそうな表情を見せておりますね。
3月一杯で旧サロンを退職して2ヶ月半、押印する小林さんの手に注目。この期間サロンワークしていないだけで、こんなに手の状態が良くなっている。旧サロンでは刺激が強く安価な薬剤が使われていたことが従業員全員の悩みだったようです。
最後に福島の業者さんにbhの“寒い打合せ”について感想を聞いてみたところ「こんな経験初めて。減額調整にに似たようなことはするものの、ここまで時間をかけて細かく徹底的に行うというやり方には非常に感心した。bhの小林さんたちへの手厚さや熱意に驚いたた。我々も、心して工事に取り掛からないといけないと思い知らされた。」と語っておりました。
ご夫婦も「私たち、本当にプレ寒打やっておいて良かったです。もし本番一回きりだったら絶対終わらなかったと思います。」お互い顔を見合わせながらしみじみ語ってました。
その後、藤井、辻井、小林夫婦の4人はなんと引き続き、設計とグラフィックの打合せを開始しました。え?疲れてないの?いや疲れているはずですなのですが減額調整の納得の行く結末に、お二人は爽快感というか、充実感の方が大きかったようです。
2日後、前半、販促物のグラフィックデザイン打合せを行い。この日で販促物グラフィックデザインの最終です。後日販促物は印刷業者に入稿され、7月初旬にチラシ、名刺、ポイントカード他、印刷物が大量に小林さんの手元に届くことになります。もちろん手元というのは現地山形の引越し先にです。6月末まではまだ東京在住ですからね。この印刷業者への入稿作業はすべて辻井が代行します。この作業、開業オーナーにとっては想像を絶する大変さなんです。
途中で工事業者が合流。正式な工事契約が取り交わされました。毎回このように必ず飯島の監視下のもと、注意事項や契約の説明が行われます。契約内容って専門用語が多くてオーナーにとって、意味不明な用語ばかりです。飯島が通訳?してしっかり理解してもらいます。超大金の取引ですからね。重要です。
そしてその後、小林さんが大の苦手とするパソコンの使い方教室を行われました。これは今後の広報活動で、ブログを書いたりSNS投稿に必要となります。このあたりが美容師さん、理容師さんが手薄なところとなり、将来の客の入りの明暗を分けることになるのです。苦手だけど克服すべき要素なんです。
小林さんたちがbhに訪問して行われる打合せは、これが最後の日です。この日もメインは小林さんの苦手なPC教室。静香さんは見学?な小林さんキーボード入力したい箇所を見つけるのに精一杯状態というレベル。正直見ていられないって感じです。そもそも、飯島と会うまで、こうしたネット上の戦略に対し、疑問視している人でした。正直なところ、やりたくないけど飯島に稽古をつけれれているような感じですね。その横で、静香さんと辻井は、途中販促の戦略上の話をしたり、印刷物の配布のコツなど、様々なアドバイスを受けたりしておりました。
小林さんが一生懸命に脳から煙を上げている最中、静香さんはディンと戯れ中です。
「今日でお別れだねディン。さびしいなぁ・・・いつか山形に遊びに来てよ!」
打合せの本当にラストです。最後はHP制作打ち合わせです。HPは実際の店舗完成写真が撮影されてから本格的にアップロードされて完成となります。HP自体は、その写真挿入待ちという段階まですでに終了しています。
これで何もかも準備万端!
さぁ、小林さんご夫婦が長い間続けてきたbhでの打合せもこれですべて終了。5日後にお二人は東京の住まいを引き払い出店地山形に引越しです。
お帰りまでのしばらくの時間、雑談しながら皆で今までの経緯を振り返りながらなお互いに懐かしみました。小林さん夫婦と飯島の出会いは遡ること2008年2月27日国際理容協会の50人セミナーからでしたね。
こうしてお二人は開業のちょうど1ヶ月前の6月27日に山形へ引越ししていきました。bh最後の記念写真です。
入札の時に訪れた山形の現場ですが、飯島は藤井に同行し2度目の訪問をしました。しかし山形は滅茶苦茶暑かった。この2日前に小林さんご夫婦はこの現場のすぐ近所に引越しを終えていました。なぜ飯島も同行したかといえば、今回福島の初めての業者起用だからです。なにかと不慣れた業者に対し細かいチェックが必要と判断したのです。
現地に着くなり各セクションの職人さんから設計担当藤井に質問攻め状態。藤井は暑い中、滅茶苦茶忙しかった・・・
この日はまだ墨出し(現地の床に実寸大で図面を再現する作業)が終わり、設備的な下ごしらえ段階でした。飯島一行が到着して1時間後、小林さんご夫婦も到着。早速、藤井と共に外壁材料のカラーを検証です。外壁材料の最終決定は実際の現地で、実際の陽の当たり具合を見ながら決めます。会議室の打合せテーブルの上で確認した風合いや色と、現実は違って見えることが多いからです。
窓ガラスに貼る予定のサインシートもいくつかのパターンがあり、どのデザインが適しているか現地で決めることになっていた。いままでのようにbhのテーブルではなく、こうして現地でお悩み中のお二人です。どれにしましょうかね?マーク大きいバージョンにする?それとも小さいバージョン?さて、どちらに決まったでしょうね?
途中、現地のタカラベルモントさんが現場に来てシャンプーシステムのユメスイング設置の事前打合せが行われた。専用の型紙が用意され現場で詳細な打合せが行われます。
現場監督さんの藤井への質問は、より深く、より細かく、そして質問項目も多く、時間もやたら長い。藤井が行くところ、行くところ、監督さんが後を追い掛け回し、質問攻め。bhのプロデュース下で、もしいい加減な仕事をしたら「やり直し」「塗り直し」「貼り直し」を食うことになる。現場にはしっかり緊張感がありました。
その様子を見てお二人は「なんだか現場にいると疲れそう・・・なんか怖いです」と言ってました。多くの場合、オーナーはこうした工事の実情を見るのも初めてで、いらぬ緊張を持ってしまうもの。和気あいあいと職人が仲良く作り上げていると思ったら大間違い、むしろその真逆であることがほとんど。職人の声は皆大きいし、まるで怒鳴りあっているようにも思えるもの。それをいきなり見たら、え?喧嘩しているの?と勘違いしていまいがちです。でも現場というのはそれが普通なのです。怒号に感じる職人の会話も彼らにはそれが普通。何も知らないオーナーがそれを見て心を揺らす必要はないのです。
だから飯島がオーナーに伝える重要なノウハウの一つ、「現場に行くのは最小限に。決して単独で行ってはいけない」なのです。
この日、総じて小林さんご夫婦、さすがに引越し疲れが出ていたように感じました。まぁ当然ですね。
1週間後再び現場チェックのため山形に乗り込みです。だいぶ工事が進んでおりました。壮大なファサードを作るための骨組みも進んでました。今回も飯島一緒に来ました!さすがに遠方での工事なので、監理上、飯島も不安です。藤井とのダブルチェック体制です。現場の店内側も本格的に始まってます。
引越から一段落し先週より少しだけ余裕が出た感じのお二人も駆けつけてくれました。1週間ぶりだけど、遠くにいるのだから、なんとなくこうして揃うことが貴重な時間と思えてしまいます。ちなみにお二人はこの1週間、現場に視察には来ていません、こうして藤井が来る時に一緒に見ることを指導しています。監理者不在の現場にオーナー単身訪問することはトラブルの元なので現場訪問を禁止しているんです。
途中で場内、ちょっと緊迫感走りました。藤井の指示によりかなり大掛かりな修正指令が出ました。藤井、なかなか頼もしい。この瞬間から、一気に現場が凍りつきました・・・そう、現場とはこういう所です。オーナーさんにとってはこの空気感は絶対に耐えられないもの・・・実際この様子を見て小林さん呆然と立ち尽くしてました。でも、飯島から見れば、実際には大したことじゃない小さな出来事です。
ソワソワするお二人に「まだ工事中である今の段階から気づけて修正できるんだから良いんですよ!小林さんたちはぜんぜん気にしないでいいよ!」と飯島はアドバイスしました。これを聞かされても、小林さんたちは落ち着きを取り戻すまで若干時間を要していましたね。
現場の外に逃げていた静香さんにカメラを向けたらようやくいつもの素敵な笑顔。山形でこれからこの店を訪れるお客さんは皆、この笑顔に癒されるのでしょうね。ということで、想定外でしたがこの日は、現場内が緊迫したせいか、途中、お二人はややテンションが危うくなったりしてました。
この日もほんと蒸し暑い日でした。
最下段の写真、お二人が現場に差し入れてくれた山形の名物さくらんぼを食べている飯島を静香さんに撮られました。
ついに工事完了の引渡日です。今回は飯島も藤井も新幹線で山形に出張し、一泊の予定で向かいました。保健所の検査のため藤井は一足先に現地入りしています。ちなみに20~30代の店舗デザイナー時代は、年がら年中、全国各地に出張していた飯島でしたが、こうして東北方面に出張するのは、本当に久しぶりでした。
山形駅に着いたら、小林さんと藤井が現場から車で迎えに来てくれていました。小林さんは会うなり「駅の遠くから見ても飯島さんは本当に目立ちますねぇ、すぐにわかります。オーラでしょうか?」第一声がこれ。駅の外では静香さんが車でお出迎え。
車に乗ったら静香さんからすぐ一言!「飯島さん今晩食事しましょうね。場所は何処でもいいですか?」はいはい、でも、まずは仕事が先ね!
店の前まで到着し車を降りた直後の写真に注目です。(上から三段目)小林さんの表情が本当に幸せそうです。しばらくこのまま数分間固まったままでした。小林さんはすでに何度も見ている光景のはずなのに。
おお、巨大なサインも堂々たるもの!おや?しかしまだ作業中?
すでに保健所の検査も終わり、そのまま引き渡し検査という予定でしたが、飯島到着前、すでに藤井の厳しいチェックにより店内の塗装は全面的に塗り直しするように指示が出していたというのです。塗装の仕上がり品質が雑であることがその理由でした。実は、その塗装早速作業に取り掛かり始めたところだったため、到着した飯島には、まだ大掛かりな作業中に見えたということです。
う~ん、これじゃ引渡しできる雰囲気じゃない。さて、どうしたものか・・・とりあえず、藤井からチェックした内容と保健所の検査の結果など、一通り聞かせてもらいました。駐車場に車を止めて戻ってきた静香さんが現場に合流。いや~、しかし暑いよね。静香さんタオルが手放せない?
静香さんも、何度見てもうれしさがあるれて来る様子です。しかしまぁ、このまま現場にいても作業の邪魔になるので、小林さん夫婦と飯島藤井で、BGM用の機器を家電量販店まで買いに出かけることにしました。山形のケーズデンキに到着!巨大な店舗にびっくりしました。
まずはプロジェクターで映像投影するためのDVDプレーヤーを購入!もちろん割り当てていた予算内で解決!カメラを向けるとら嫌がる静香さん。暑くってもうつかれちゃった様子、お店でくれた扇子で顔を隠しておりました。
その後、現場に戻りましたが、どうやら作業はまだまだ時間がかかりそうです。どうしましょう?今日の引渡しはやっぱり無理か・・・なにやら同時に店内のエアコンも修繕工事が行われていました。これも藤井に聞けばエアコンの配管処理が雑で露出しすぎているため見栄え良く処理するように改善の指示をしていたとのことでした。
ちなみに結局窓ガラスのサイン、最終的に選ばれたデザインのものがすでに貼られてました。渦巻きのマークはサンクプラスの“サン”すなわち太陽をあらわすデザイン。静香さんのエステルームにはすでに専用のベッドというか椅子というか、しっかり設置されていました。
現場には、山形のタカラベルモントさんも来てくれていました。本当に面倒見の良い担当者です。実は静香さんの実家が山形で理容室を今も経営中。静香さんは幼いころからの顔見知りらしいのだ。
さて一同話し合いの結果、引渡し検査は明日に延期となりました。OPENは7月27日だしまだ多少の余裕もある。明日、塗装が完了したところで再チェックしたほうが良いだろうと判断。あわてず明日ゆっくりやりましょう!
そして夜、静香さんお待ちかねの食事会。これを本当に楽しみにしてくれていましたね。飲食後、飯島と藤井は駅前のビジネスホテルで一泊後、明日再び現場に!
一夜明けました。山形駅に小林さんたちが迎えに来てくれました。迎えに来る前に現場に寄ってきた小林さんたちの話によると、塗装は思いのほか大掛かりで難航中のため作業は午後までかかってしまいそうだと工事業者から言われたらしい。藤井はすぐに現場に電話連絡。現地の塗装業者に品質重視の塗装指示をしたところ14時まで時間が欲しいらしく、確実に引渡しできるまでは15時ころまでかかってしまうとのこと・・・まぁ仕方がないか・・・では15時まで待つしかない・・・
すると小林さん夫婦は「そんなに時間が空いてしまうのなら、お二人が、せっかく山形まで来てもらったのだから、飯島と藤井をどこか観光に連れて行きたいです」と言ってくれました。かくして15時までの5時間の時間つぶしが急遽観光タイムとなりました。向かったのは名所・蔵王の御釜。
超暑い気候も山を登り始めたら嘘のように涼しく気持ちよくなってきた。
道中、山道の途中に湧き水が出ているスポットに辿り着いたところで、一同で車を降りて、この天然の湧き水=パワー水を飲みました。小林さんご夫婦も、この遠足中は完全リラックスモード。飯島、藤井もパワー吸収。この湧き水をペットボトルにボトリングして東京まで持ち帰りました。いや~信じられないくらい涼しい!山の下の暑さとは別世界。
天候もバッチリ!普段、雲に覆われていて御釜が見えないことも多いらしい。飯島も藤井も御釜を目の当たりにするのはもちろん初めてのこと。
いよいよ蔵王の御釜に到着、まさに絶景でした。最高でした。普段口数の少ない藤井もさすがに感動の様子でした。まるで絵画のような光景。観光客の人にシャッターを押してもらって全員揃った記念撮影も。そして、この展望スポットからさらに高いところに登りきったところには、祠がありサンクプラスの繁盛とbhの運気アップの祈願をしてきました。
スキーでも有名なスポットである蔵王では、山の中腹にリフトやレストランがいくつかある。登る途中に一同で気付いた石釜焼きのピザの看板。行き道から、みんなで昼食はそこで!と決めておりました。期待半分でしたが実際にはかなり本格的。美味で驚きでした!
一同、日焼けし火照りつつも15時には現場に到着。公言通りしっかり作業は終了していました。ようやく引渡検査です。遠足モードを終え、緊張モードに切り替えです。再び厳しいチェックに取り掛かります。まだ不良箇所があれば、何度でもやり直しとなります。昨日の藤井の厳しいチェックがあったためか今回は相当神経を使って改善されておりました。一人の職人さんが藤井にチラッと聞いてきたそうです。「いつもこんなに厳しくチェックされるんですか?」その質問に対し藤井は「毎回bhの仕事は、これが普通ですよ」職人さんは言葉を失っていたとか・・・
店外、店内隅々までチェックを入れ引渡し検査は無事完了。お二人はいよいよオープンに向けての0OEN準備に取り掛かれそうです。お二人ホッとした感が漂いました。藤井の仕事はまだまだあります。照明器具のライティングの作業。同時に飯島がAVの配線を手伝いました。プロジェクターから映像を投影させるため昨日買ったDVDプレーヤーをつなげて投影しセッティング完了。当初は巨大な液晶テレビを入れたいと言っていたけどプロジェクターの方が画面を大きくできるしコストパフォーマンスも格段に良い。そんな事情もあって実現したこのスタイルです。
プロジェクターのセッティングの後は、パソコンで光回線を開通させる作業。しかし、これが少々苦戦。結局NTT側の設定不良で繋がらず・・・ほんと、工事完了の時って色々あるものなんです・・・
陽が傾き、外部の照明が灯りました。するとこの表情!お二人も私たちも最高にハッピーな瞬間です。
この写真撮影直後、飯島と藤井の両名は東京までの帰路に着き、社内でビールを飲みながら帰りました。
2011/7/25この日は、SunC plusのOPEN2日前です。この店の開業計画において小林雅史さん静香さんが当初中からずっとこだわっていたことがありました。それは過去bhの作品のすべての店舗完成写真を撮影しているカメラマン秋山雄一さんに自分たちの店の完成写真も撮ってもらうことでした。
「カメラマンさんの交通費がかかってしまっても構わないので絶対に秋山さんに撮って欲しいんです」ずっと言っていました。「そして撮影後は現地でbhメンバー全員と打ち上げの飲食会がしたい」これも幾度も言ってましたね。そんなリクエストにお応えしメンバー総勢の山形遠征。これは本当に珍しいことでした。
車で片道4時間かかる道のり、途中の安達太良のドライブインで美味しい昼食をとりましたが、このときの模様はリアルタイムでツイッターで実況していたので小林雅史さん静香さんは、今どこまでサンクプラスに近づいているのか?を把握していて、「もう安達太良まできているんですね!」と連絡が入るほどでした。
そして現地に到着。すでにオープン告知用に完成したチラシが窓ガラスに貼られておりました。もちろんこれはグラフィックデザイン担当の辻井作。2日後のオープンということもあり、すっかり準備も整っておりました。サンクプラス・本当に山形でNo.1のヘアサロンになりそうな予感です。
早速カメラマン秋山雄一さんが撮影の為のセッティングに取り掛かりました。この日は心配していた天候も良好でよかった。もしも雨が降ったら撮影日を変えなければならない、という話も事前にしていたぐらいです。
bhメンバー到着から、一足遅れて静香さんも到着。辻井とは約1ヶ月ぶりでお互い再会を喜んでおりました。
すると、なんと突然のゲリラ豪雨。この頃、国内各地で予測不能のゲリラ豪雨に見舞われていた時期でした。どうして撮影直前に雨?撮影できないじゃん?写真では伝わらないが、実際はとんでもない降りっぷりでした。たちまち道路は川みたいになるし、マンホールも下から持ち上げられ外れそうになってましたか。雨が止むのを待ちながら、辻井が小林さんにインタビューを始めました。この時のインタビュー内容がこちらです。
http://bh-inc-cojp.check-xserver.jp/voices/sunc-plus/
静香さんも2日後の開業の準備しながら嬉しそうに談笑しておりました。開業直前で直面する事例を踏まえ、心構えやら、体調管理の話らやら。
しばらく、雨上がり待ちしていたのですが、なかなか上がらないので、ひとまず店内から撮り始めることにしました。藤井、辻井の両名はアシスタントに。絶好の写真アングルを考え微妙なセッティングしていきます。
そのうち雨足も弱まり外部の撮影も開始。幅広の外装はサンクプラスの目玉なのでさぞ写真は迫力が出ることでしょう。構図を考えながら、道路の反対側に行ったり来たり、忙しく撮影は進められました。なにしろ、目の前の道路はけっこう交通量が多く、しかも信号の前。カメラを構えても信号で止まる車が頻繁にサンクプラスを塞いでしまう。車の途切れ目のタイミングがシャッターチャンスでした。雨はすっかりあがり、まるで撮影前に、水で洗ってくれたような感じでした。なんとなくまだ濡れた路面もいい感じの演出になりそうです。
だいぶ撮影が進んだところで、藤井は飯島と2人のみ撮影から離れ、SunC plusの真向かいにある「寿司健」さんを訪ねました。3月11日この現場で採寸中にあの震災に遭った藤井。震災直後、町中大停電、交通機関全停止、寿司健さんに助けられ一晩を過ごしました。まさに寿司健さんは藤井の命の恩人でした。サンクプラスの完成の報告を含め、二人でご主人の健さんにお礼を言いに行こうと前々から話していたのです。
「藤井をあの日この場所に来させたは私です。その節は本当にお世話になりました。」ご主人の健さんに飯島はこんなご挨拶させていただきました。
そのまま、寿司健で藤井と共に皆より一足先にビールを飲みました。健さんご夫婦いわく「山形でこんなすごい床屋見たことねぇ!」と言ってくれました。あの時、助けた藤井がこんな立派な店を作るほどの才能の持ち主だとは・・・健さんご夫婦で向かい側の店が立ち上がる様子を見ながら「あいつ凄い奴だったんだなぁ」と話しつつ、ずっと完成を楽しみにしていたそうです。
撮影の最後はHP用にの小林さんご夫婦のプロフィール写真撮影をしました。そして全員で恒例の記念撮影ね。ついでに!再び寿司健に全員で移動しご主人夫婦も一緒に記念撮影しました。そして!せっかくなので寿司もお願いして握ってもらいました。実は小林さんは打ち上げの為の店も別に予約してくれていましたので、軽めに、あくまでもプレ打ち上げということにしました。お酒だけは後のお楽しみにして、まずはお吸い物で乾杯!
撮影とお寿司タイムが終了し、一同、山形駅近くに全員で移動し静香さんお待ちかね、本番の打ち上げ飲み会。
飲食の途中、これまでのプロセスを振り返る度に・・・感極まって涙する小林さん。この日、何度泣いたことでしょう・・・
遅い時間まで飲食会は続きました。本当に盛り上がりました!
bhメンバー宿泊のホテル前で名残惜しくもそれぞれが記念撮影を。ここでも小林さんまたまた涙しておりましたね。対照的に奥さんは、全然泣かない。まぁ、静香さんは本当にそういうキャラではないんです。静香さんは涙ではなく笑顔が似合う人。
最後の最後で飯島と握手したら、小林さんの涙、再び大噴火!奥さんも最後かなり深々と頭を下げ・・・でも泣いてませんでした。(終)
【編集後記】※2011年7月当時
この計画は本当に沢山のエピソードと思い出が一杯です。2010年中からずっと「プロデュースをお願いしたい」と熱いラブコールをくれていた小林雅史さん静香さんご夫婦の山形への帰郷&開業計画。振り返ればbh飯島は 2010年後半はやや多忙でプロデュースの依頼を頂いてもお請けできずお断りする事例が目立つほど忙しい状況に見舞われていました。(実際のところ、2010年中は4件のリクエストをお断りした)
そんな中、小林さん夫婦は「何とか私たちの開業だけは面倒見て欲しい!」と強烈なオファーを何度も何度もしてくれたご夫婦だったんです。2011年に入り、国領のIORIさんの開業計画も終わり、ちょうどタイミング的に請負できそうな状況を受けお二人にも「なんとか請負できそうですよ!」という話をしたところ「もし、飯島さんがプロデュースやってけてもらえなかったらどうしようと、ずっとドキドキしていたんです。請けてくれて良かった~!」と話してくれましたね。
お二人とは2008年2月27日で国際理容協会主催の50名に対して飯島が登壇した「理容室開業ノウハウレクチャー」で出会って以来、その後、セミナー受講、さらに深いレベルのレクチャー受講、同じ内容が重複する講義を通算3度にわたり受講後、事業計画診断コース(2021年現在のコンサルティング)へと進み、bhのサポート内容すべて漏れなく進み、ずっとずっと飯島を頼ってくれました。
そんなお二人がいよいよ計画実行となる3月。通常オーナーが自力で物件を探し、飯島は最終的に現地に足を運び設備の過不足、予算バランスなど総合的にチェックし、危険性が無い物件ならOKを出します。ただ、小林さんの計画はこの時点でプロデュース請負を前提にしていたため、山形への出張経費の節約にも繋がることを考慮し、東京に在住していた小林さん夫婦と飯島は山形に出向かず、物件チェックも含め藤井に代行してもらうことにしました。藤井はいずれ設計業務で何度か山形出張になることが想定されていたので、この時点では総合的に考え交通費1往復分を節約できると考えたのです。
まさか藤井が山形への調査に出かけたあの日(3/11)にあの震災が起こるなんて・・・こればかりは誰も予測できませんでした。
しかし、あの日3/11に現場のチェックが出来ず後日の予定にズレていたら恐らく実際の物件チェックは数ヶ月後になっていたはずです。するとサンクプラスの開業は、かなり遅れていたかもしれません。いや、恐らく開業すらしていなかったでしょう。
事実、小林さん同様に2011年にプロデュースを強く望んでいた数名の開業者さんたちは、震災後の不安から急遽開業そのものを見合わせる事例が相次ぎました。小林さんが開業へ突き進んだのはすでに3月末での退職が決定し後戻りできない状況であったことと、この3.11に現場の検証が済んだこと。もしも、この2点が後日にずれていたら、SunC plusは実現していなかったわけです。
実際に打上げでお酒を飲みながら小林さんに聞いてみました。
「もしあの時、3月末で旧サロンを辞める事が決まってなかったら開業計画進めてましたか?」
彼の答えはもちろん「NO」でした。
今考えると、必然というか、タイミングというか、見えない力が働いたのでしょうか・・・様々な巡り合わせがあってサンクプラスは誕生したんですね。
そしてこの期間中、もうひとつエピソードがありました。
飯島が21歳で工事担当者だった頃、当時とってもお世話になった仙台の工事業者の社長さん。この社長の一家もこの震災で被災しました。その工事業者の後を継いだ息子さんは津波に流されたところ、どこかの駐車場の屋根に逃げ延び九死に一生を得たそうです。その息子さんも現在37歳だそうです。飯島が21歳の時、仕事で仙台出張の際、そのまま家に泊めてもらったことがありました。その当時、彼ははまだ小学生で彼とファミコンで一緒に遊んだ思い出があります。震災直後、その業者さんの安否も気になり後日連絡がとれた時、食料が足りなくてとても困っているようでした。色々調べたら、仙台市の宅配分配送センターまでは配送可能であることを知り、飯島は東京から大きな段ボール箱に入り切るぐらいの非常食、乾電池、ガスコンロなどを送らせていただきました。この時ほんのわずかながらですが、21歳の頃お世話になった時の恩返しができた気がしたものでした。
後日、飯島にとって大変お世話になったこの工事業者さんにはサンクプラスの入札(競争見積)にも参加してもらいました。残念ながらこの業者さんは入札で勝てず工事をマッチングすることは叶いませんでしたが、入札時のサンクプラスの現場で元気な社長と息子さんに約20年ぶりに再会できたこと・・・
このように、サンクプラスの開業計画はとりわけ、小林さんたちにとっても、bh飯島にとっても・・・何か神がかっていました。
実はエピソードとしては、まだまだ語りつくせないのですが、間違いなく忘れることが出来ない特別な計画となりました。
オーナー小林雅史さんと静香さん、すべてはbh飯島と一緒に立ち上げる開業計画を強く強く望んでくれたことがすべての始まりでした。
今こうして、無事に開業計画を実現して、あらためて大変感謝しています。また沢山の“縁”にも感謝しかありません。
色々ありましたが、最終的にサンクプラスの開業計画は最高にエキサイティングで、とても楽しかったです。ありがとうございました。
※こちらの開業までの軌跡は、2011年当時bhのヘアサロン開業アカデミーのHPにて公開していた「開業までの足跡アルバム」の記事を復刻したものです。2021年7月27日のSunC plusの開業10周年に伴い、当時の記事内容をそのまま手を加えず公開させていただきました。